




今回はおじさんの言い分を飛ばしておばさんの言い分だけを、昭和老人のたわ
言かも知れませんが、昭和の人情厚いよき時代の話しに巡り会い感激して、私
見を混ぜてご報告させて頂きました。表題の内容が一部違っておりますがご勘
弁を!
この話はブログで或るおばさんの体験談として掲載されておりました。其の中
で一寸出来過ぎた話かも知れませんが、ブログ投稿文の前後の判断から作為
的な所が無く、実際に体験しなければこれだけの話をする事が出来ない、だろ
うと思い感銘しました。
以下掲載されていた全文を記述します。
夕方勤めを終えて帰宅、夕食を済まし片付けが済んで一休みをしている時、
玄関のドアーがノックをされて扉を開けてみると、自分より少し若い女の子が
二人入口に立っている。「突然今夜此処に止めてくれないかと言う」
知り合いでもない、真面目そうな子達であったので「いいですよ」と理由も聞
かず私は即座に、彼女達を自分の部屋に入れた。布団とトイレだけ、朝の7時
半には出て行くと言うだけの約束である。
泊り場所を確保した彼女達は、10時には戻ってくると言って何処かへ出かけ
て行き、時間少し前に帰ってきてお願いします。と挨拶をして静かに寝た。
朝、気が付いたら彼女達は約束通り、顔も洗わずに出て行った。礼を言うでも
無くそれっきり、変な子達だなーと思っていたがいつの間にか其の事はすっか
り忘れていた。
しばらくして其の片方の子に道で会って、看護婦になる為の勉強をしている。
と話をしてその節はと頭を下げて礼を言われた。それから10年程経ってから
近所の医者に私を良く知っている看護婦がいる、と友人から聞いた。或る時そ
の医者にかかる事になって出かけてみると、ニコニコと私を迎えてくれた看護
婦さんが居た。あの時の子だった。
それから又20年位経った頃、道端で丁寧に頭を下げて当時のお礼をと、声を
かけられて来た立派なご婦人がいた。
「よくぞ見知らぬ私達を何も聞かずに泊めてくださいました」当時私達は退社後
直ぐに電車に乗らなければ、家に帰れないほどの田舎から通勤をしていたので
夜の町がどのような風景か一度で良いから歩いてみたかった。あの夜友達と
二人で見た夜の町は、今でも忘れる事が出来ません。それにしても随分勝手な
お願をして、お恥ずかしい事でした。と一度お尋ねしてお礼を言わねばと思って
おりました矢先に、お会いが出来て大変うれしいと、私の手をとってうれし泣きし
て何度も頭を下げてくれました。
私が彼女達を簡単に泊めた事に関しては、それなりの伏線があったのです。
当時お隣の倶利伽羅紋々のおじさんの所には、一宿一版の泊り客が何時も出
入をしておりました。又、友人の父親の所には、吟行中絵筆を持つ旅人などと言
う見知らぬお客様が出入りして、何時も門戸は開いている事が当たり前な時でし
た。街が整備されてサラリーマンが町を支配するようになると、門戸は閉ざされ
アポ無しで友人の家に行こうものなら、非常識の権化扱いの時代です。核家族
の誕生が変なルールが生れて、こんな話は今時通用しない淋しい時代になりま
した。
以上が全文です。
多分昭和30年〜40年代初め頃の、生活に追われながらも未だ世間の人情は
厚く、無言の規律の中で他人を思いやる気持ちは、大抵の人は皆持ち合わせ
ておりそれが当たり前に働いていた世の中の話しだろうと思います。
投稿者のおばさんも最後に「こんな話は今時通用しない淋しい時代になり」と半
ば本人が一番淋しい思いをしたのではなかったのでしょうか。それだけに又二
人目の彼女から言葉を掛けられて再会し、歳を重ねた今一番貰い泣をしたのも
本人で、其の感激をブログに託して書き込んだような気がします。
話が少しそれますが、今は都会では殆どこのような人情話は見受けられ無いよう
なりましたが、地方の山村とか特に観光地でない離れ島に出かけてみると、まだ
まだそのような風情が多く残っており、ほっとする場に多く巡り会います。そん
な時この地に出かけて来た甲斐と感激を味わい、何よりの収穫と思い又再度出
掛けて見たいと思う事があります。
私も歳を重ねてあちらこちらに出掛けるようになって、やっと少しずつこのよう
な気分が判ってくるようになりました。未だ少し前迄は旅は出かける事に意義を
感じ、出先の風景や事象に心を奪われ気味でしたが、出先では多くの人にうさん
臭がられながらも、見ず知らずの方々に出来るだけ言葉を掛けて、話のきっかけ
を作るようにしております。其の中で出合った方々からご縁を得る事も時々あり
出会いが一層楽しくなり有難い事だと思っております。
時代が変わっても人情だけは、そんなに手軽に変えては貰いたくありません「人
の情けは為ならず」の言葉がありますが、人情が仇になっても其の時々の判断で
結果はともあれ、当座の状況が良き方に向う事であれば、少なくとも自分の周り
だけでも、の掛ける事が大切である様な気がします。又それだけに結果に拘る責
任はありません、其の程度の事が今の世の中では上手く作用をしておりません。
利己主義が一番の邪魔をしているようです